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2016年08月16日(火曜日)更新
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第116号 夏目漱石はなぜ生まれたか。 子規の存在こそが凄い
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「夏目漱石は、正岡子規がいなければ小説は書かなかった!」いまも書店の棚に一定の幅をもって漱石の本がある。学生の時、「この二人が出遇わななければ・・」と思うなあ。「ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石」
(伊集院静著・講談社文庫上下2冊)で、こんな話から入ろうと決めていた。今回は塾生全員が中学高校で教科書などで必ず目にしたふたりの物語。伊集院さんも、わかりやすく書いている。子ども、孫の夏休み前、じっくり読むには、最高だろう。詳しい人も必ずいる、と思った。伊予松山から上京したノボさん(子規)、同級生夏目金之助(漱石)と知り合う。ともに落語好きとわかって意気投合。アメリカから伝わったべーすぼーるに熱中する子規だが、英語が苦手、No.1の使い手漱石、これが仲良いのだから面白い。いってみれば、ふたりの青春物語。ほとんど女性の登場しない、話なのである。このふたりが居なければ、日本の文学、文化はどうなっていたのだろう、と思ってしまう。間もなく漱石は、英国留学、子規は退学。俳句、短歌を見直し、新たな道をめざすことになる。しかも喀血し、脊椎カリエス、寝たきりの“世界”彼の情熱はおとろえない。子規がそこまでやって来たこと、とても常人の想像を超えている。鬼気迫る感じがする。しかしノボさんの明朗闊達、変わらず、出入りする若者、増える一方である。ふたりの交流は続くが、子規は小説家への道をあきらめる。子規の小説を読んだ漱石の感想、どうだったのだろう。
さて、皆んなの感想、どうなるか、これがいちばんの関心事だった。越後村上は、こんなとき困ってしまう。明治、大正、昭和、平成と、時代は変われど、暮らしは変わらずというか、危機、がなかった。幕末も三度の戦争も、当事者だけのこと、存亡の危機は一度もない。原爆の日(ヒロシマ8月6日)、終戦の日(8月15日)と、市内中に黙祷のサイレンが鳴るが、つきあい、なのである。故郷のしがらみを捨て、東京に行く、NYに行くが、ないのである。万事無事というのは、変革をもたらさない。万事、受け身の生活、気楽なのだろうか。
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2016年06月20日(月曜日)更新
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第115号 NYの町が主人公の犯罪にアル中スカダーが挑む
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塾の敷地内にある8本の欅、みな若葉をつけている。風も心地よい。若葉の匂いかな、と思ってしまう。遠くの山々には、まだ白く光るものが見える。春から初夏か。背伸びしてみる。昔のようにぐんとは伸びない。仕方ないよ。病み上がりだから私。ローレンス・ブロック著「八百万の死にざま」(ハヤカワ文庫刊)を5〜6月にかけて読む。舞台はニューヨーク、アル中探偵マッド・スカダーものである。帯に“巨匠の代表作”とある。フーンだね。私、スカダーを見つけたのは早かった。「過去からの弔鐘」「冬を怖れた女」「一ドル銀貨の遺言」「聖なる酒場の挽歌」「慈悲深い死」など。ほとんどが二見書房刊(二見文庫)である。その頃から、新しいのが出るたびに買っていた。新人のブロック、この人、エラくなるな、読者の心地よさ、当たった。いまやローレンス・ブロック、巨匠といわれるようになった。ハヤカワも最初からツバをつけていない。二見書房は立派だよ。八百万は当時(30年ちょっと前の)NYの人口。都市化はアッという間だね。
スカダーの友人でもある美しいコールガールが無惨にも殺される。ヒモのチャンスの依頼でスカダーが事件を追う。大都会で誰も見向きもしない(すぐ忘れる)事件をコツコツ調べるスカダー、そしてその一方、アル中探偵の通うAAの集まり、(驚いたことに、人口7万人の村上市にもあった)とアル中の実態が面白い。警察小説とも違う雰囲気だもの。私が読みふけっていた頃を想い出す。一作ごとにスカダーのアル中が変わってくる。あと少しの段階が本書。アル中じゃなくなったスカダーの小説、その頃に私は読むのをやめている。もういいよ。真人間のスカダーは、といった感じだった。
けやきぶんこ、ほぼ50人余の中で、NYに行ったことのある人は3人。「地下鉄にも乗ったけど、怖くて下を向いていた」という人。「NYも東京と同じさ、怖い通りに出かけて行かなければ、ね」怖い町があるから面白い、いかがわしい通りのない町なんてね、ツマラないよ。相変わらず、私、勝手をいっている。
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2016年02月17日(水曜日)更新
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第114号 番外編・私、心不全で死の渕をのぞいてきた
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とうとう本を読む塾「けやきぶんこ」は、暮れから3ヶ月、休講となった。私は、松戸の自宅でひとり、村上に通う体力のリハビリ中である。10年間で初めてのこと。なんでこんなことになったか。お詫びと反省の弁、聞いてください。まったく、自分がいちばん情けない。暮れの12月3日、「けやきぶんこ」10年の記念修学旅行、京都(2泊3日)からもどって、疲れがとれない。ぐったりしていた。12月3日の朝めし食ったあと(昼近いのだが)、調子悪い、ちょっと眠ろうとベッドへ。午後3時、家政婦のHさん出勤、騒ぎになった。彼女、心不全のひと、身近にいたらしい。私、顔、上半身、汗がひどい、でも触れると手も顔も冷たい。ピンと来たらしい。私の汗をふき、上のシャツ、肌着、変え、管理人のKさんと話し救急車を呼んだ。私のマンション、エレベーターが故障(点検)中で、救急隊の人たち、私を、階段でおろしたんだって。慈恵医大(亀有)に着くまで、私、2人を怒鳴っていたらしい(憶えてない)。私、何も自覚がなかった。次は、804号の病室、主治医H医師が「あなた死んでいたんだよ」怒鳴ったこと。「なんで」という私に、「心不全です」怒ったようにいった。その時、私、まだ実感がなかった。
浦安市に住む息子(海太)が、すぐ呼ばれたという。主治医は、退院後、父親(私だね)は、車椅子生活、24時間、誰かが見ている体制をとりなさい。無理なら松戸にも施設があるから調べて手配急ぐように、と。息子も慌てただろうね。私は、親子、兄弟は他人の始まり、と広言している男だから。息子にも孫(2人いる)にもベタベタしたことはない。息子はよく動いたのだろう。松戸市の介護保険課から、認定審査班が、私に面会と審査で病室に来た。態度のワルイ私に、苦笑いしながら質問する。退院後、1ヵ月して要介護2の判定が出た。結局、12月30日に退院。何も知らない私は、なんで病室がニギヤカなのだろうと思っていた。毎日誰かが来る、重なる。村上の「けやきぶんこ」の人たちも、大勢で。心不全で死の渕をのぞいた、広まったのだろう。体重10キロ減、ヘロヘロで帰宅。大晦日、海太と向かいの雷電神社に2年参りに行く。石段を登ったら、もう立っていられない。ヘロヘロ、正月4日に村上へ。村上の方が待遇がいいよ、と考えた。誰かが泊ってくれるだろう。村上に10日居た。大御馳走だったな。
以来1月、2月、松戸に居る。きちんとリハビリやっているか。答えはノーだね。私がやる訳がない。いま、椅子から一回で立てる、ズボンをつかまらずにはける、かな。「けやきぶんこ」のS君と相談。2月も休むことにしてゆっくりやっていく。皆んなに迷惑をかけたので、もうやらない気持ちでいる。
3月の再開、どんなく工合いになるか、私がいちばんワクワクしています。すみません。
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2015年11月12日(木曜日)更新
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第113号 「獣の奏者」2冊なぜ売れたかよくわかった
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越後の秋は、稲刈りの終わった田圃、はや冬支度か、と例年、寂しくなる。今回の塾はニギヤカだったよ。私もファンタジーは初めてだし、全体はわからない。しかし、今年の読書界の話題では、上橋菜緒子さんが断然光るし、「獣の奏者1闘蛇編2王獣編」の2冊がなぜ売れたか、も、よくわかる。私はいつも、ファンタジーとホラーは読まない、と広言してきた。実際、その通りなのだけど、私自身、そこまで幅はひろげられない、が実際だった。でもこの国際アンデルセン賞の作品は別格なのだろうね。すぐハマってしまうほど面白い。
数奇な運命を辿る10歳の少女エリンが主人公、母ソヨンの処刑の現場から、闘蛇にまたがり脱出、それからの彼女の波乱の半生。リヨザ神王国の中で、闘蛇と王獣、が、なぜいるのか、秘密が次々と明らかになっていく。闘蛇衆の娘エリンが、王獣リランの飼育に成功し、会話まで可能になっていく。そしてついにリヨザ神王国を揺るがす、惨劇がおとずれる。いったいこの話、世界のどのあたり、時代はいつ? それを考えていたら、面白くない。作者上橋さんのお話に入っていった方が、楽だし、スムーズだもの。自動車もヒコーキも核戦争もない時代の″戦争と平和″かな。読者が勝手に夢をふくらます書き方、十分、上橋さん、出来ていて、読者を引き入れてしまっていく。まさに日本ファンタジー界の金字塔というべきか。
「けやきぶんこ」の皆んなも、各組それぞれに熱く話した。ハマっている。それでいいのじゃないの、私は、笑ってながめている。上橋さんは、どうしてこんな話、つくれるのだろう。エリンとリランの心の通じ方、なるほどと納得できるし、ほとんど泊まり込みでリランと暮らして、わかり合ってくる。いい光景でした。この「獣の奏者」は2冊の他に、3探求編、4完結編と出ている。1ヵ月休んで12月に3,4をやることにした。完結編の解説で、吉川英治「神州天馬峡」をあげていたが、よくわかる。あれも面白かったもの。
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2015年10月08日(木曜日)更新
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第112号 追悼 桂米朝著「落語と私」、寄席行ってみてよ
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この春、桂米朝さんが逝って、「落語と私」をぜひやりたいと思っていた。人間国宝で文化勲章の落語家なんて、これまであったのかなあ。この本、昔から名著として名高い。初出は昭和50年。ポプラ社刊だから、まだ文庫で十分生きている。帯には、“追悼、桂米朝”とあるけれど、落語のすべてを語った本としては、十分、いまに通じる。
秋晴れの中、村上は稲刈りの季節、いまは皆んな機械だからアッという間に終わる。一家総出で農作業なんて家は、広い朝日村でも数えるほど、らしい。TPPもあって、農業はさらに変わるだろう。稲を刈った田がどんどん広がる。短い秋が終ると、冬支度が来るね。
ともかく米朝さんが逝ったのは、落語界では、大きい。この人の端正な高座がもう見れないのか、という気持ちになる。私、好きだった古今亭志ん朝、立川談志、桂枝雀などの人が若くして逝って、これからどうなるのだろうか。寂しくなるよ。もっとも楽太郎が圓楽になっているのだから、世の中、変わるだろうね。心配ないのかも知れない。
私、米朝さんのこの本、やりたい、と思ったきっかけは、この夏、上野の東京芸大美術館で「うらめしや〜、冥途のみやげ展」があった。谷中の全生庵・三遊亭圓朝、幽霊画コレクションを中心に、とある。この圓朝さん、幕末から明治の人だが、17歳で真打となり、落語はもちろん名手だが、芝居噺、怪談噺の名人として伝わっている。この人の菩提寺が全生庵、圓朝の集めた作品を中心に、とある。会場は、満員、押すな押すなの人気、とてもゆっくりなど見れない。立派なカタログを買って、外で拝見したものだった。なぜだろう、若い女性がいっぱいなのだ。この圓朝さんのこと、米朝さんは、見出しを立てて、説明している。落語界のレジェンドふたりという訳か。そんな話が中心になるかな、と塾にのぞんだ私だったが、上手くまとまらない。皆んなの個人差があり過ぎる。寄席に上京したとき、よく行きます、の人から、まったく米朝さんの本に出てくる、どれも初めての人まで。「ともかく一度、寄席、行ってみて」だね。
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