ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2011年02月11日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座、200

 最近、世の中を賑わせている大相撲の八百長騒ぎは、いかにも時代が変わったことを痛感させる。メールでいとも軽々と取引されていたらしく、道具は使いようとは言え、当人たちがなんとも罪の意識がなくあっけらかんとしているのには、こちらが考えこまされてしまう。以前から、片八百長などといわれる相撲があった。千秋楽の勝ち越しの決まった力士と相星の力士の一番は、ほとんど相星の力士が勝つたもので、なにもアメリカの某社の統計を引き合いに出すまでもない。まあ、しかし、そうした相撲には“武士は相身互い”ではないが、人情がからんでのことだろうが、最近のはいかにもドライで計算づく。身に覚えのある人は、自ら身を引くのが、世話になった大相撲へのせめてもの罪滅ぼしだろう。

 頼りのなさに掛けては、相撲協会も国会には及ばない。“朝令暮改”に“保身”と“内部抗争”。三権分立を、さらには“推定無罪”の原則を無視して、行政府がとかくの批判のある検察の真似をしようとは世も末だ。これでは法治国家の態をなさない。教育の内容を根本から見直す必要があるようだ。ところが、小学校から英語を教え、企業は英語を‘公用語’とする? いよいよ、日本崩壊か? どんな新人種が登場するか。まさに見ものだ。長生きはしたいものだ。
 
 この一連の駄文を書き始めてから、早いものでもう四年と数ヶ月が経った。どれくらいの人のお目を汚したことか知れないが、思いもかけぬ知人を得たし、文章を書く勉強にもなった。今回をもって、このシリーズは終了させていただくことにする。いずれ項を改めて、またお目にかかることにしょう。最後になったが、お世話になったみなさんに厚くお礼を申しあげる。


  本書は著者の推敲を経て『電子ブック』化を予定しております。
 

2011年02月04日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 199

 明日の更新のため、この原稿を書いている今日は二月三日、節分である。すなわち立春。春の始まり。今日から春。暖かい土地の方たちは、もう、端歌にもある「梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・」の心境かもしれない。たまたま昨日、所用で出かけていた札幌から棲家へ戻る車窓から眺めた限りでは、北の大地はまだ白い褥に分厚く包まれていて、冬が大きな顔をして居座っていた。常磐木の森は雪を被って、林立するクリスマスツリーそのもの。黒々とした冬枯れの落葉樹は、吹き付けられた吹雪の白い花を点けていて、遠目には白梅かと思いたいが、やはり冬の清楚なオブジェ。それでも、軽くそよぐ風にふわふわと舞い下りる雪の力なさ、僅かながら蒼みを深めている山襞、さらには、輝きを増した陽の光りに、春の気配が宿っていた。春の訪れも、そう遠くはあるまい。蕗の薹は、もう何処ぞでひっそりと芽を出していることだろう。

 今夜は恒例によって、同期の者たちが寄り集まって豆まきをする。むろん、春の到来を寿いでお神酒を頂くのが主眼で、節分は呑み助にとって酒をおおっぴらに飲めるまことにありがたい機会でもある。

 万物は流転す。
「この翁白頭真に憐れむべし。伊これ昔は紅顔の美少年」
「年年歳々花相似たり、歳歳年年人同じからず」

時期尚早なれど、例の
「春宵一刻値千金。花に清香あり月に陰あり。歌管楼台人寂寂、鞦韆院しゅせんいん落夜沈沈らくよるちんちん」
 

2011年01月28日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 198

 今は一年を通じて一番寒い時期、大寒を過ぎたばかりだが、確かに昔よりずいぶん暖かくなっている。小学生の頃を思い出すと、この街では一冬に零下三〇度を越すことが何度かあったし、零下二十度以下の日は珍しくなかった。今年はまだ零下十五度になったことがない。本当に温暖化は進んでいるような気がするが、専門家に言わせると氷河期が始まりつつあるそうだ。何万年も後のことなので、われわれが頭を悩ますには及ばないが、仮に温暖化がこのまま進むと、地球はちょうどいまの金星とそっくりの状態になる。昼間は灼熱地獄、夜は氷結地獄。かつて地球と似た自然環境だったのに、太陽に近すぎたのが金星の不運で、温暖化が急速に進んで現在に至ったそうだ。

 ところで今朝、金星探査ロケット「あかつき」が打ち上げた「イカロス」が撮影した三日月状の金星の写真を拝見したが、ある種の感動を覚えた。わが日本もなかなかやるじゃないか。たまには視線を足許から転じるのも、精神衛生のためにもよさそうだ。すくなくとも、人間は考える動物である。「Man is a thinking animal」(パスカル)
 その一方、「結局のところ、最悪の不幸はけっして起こらない。たいていの場合、不幸を予期するために悲惨な目に遭うのだ」(バルザック)という考えもある。
また、「先憂後楽」(欧陽修)を薦める向きもある。どちらも、人間の知恵か。それはともかく、今後送られてくる金星の写真が楽しみだ。やはり、ものを考える人間は素晴らしい。
 

2011年01月21日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 197

 最近、‘孤族’などという、これまであまり聞いたことのない言葉がよく目に飛び込んでくる。なんのことはない、いわゆる従来型の家族生活が崩壊して、一人暮らしの人間が増えた現状を指す言葉らしい。私などは、古い形の家族、家意識がようやく薄れてきたことは慶賀すべきことだと思っている。あらゆる社会形式は、それぞれの時代の産物であり、家意識はまさしく封建時代の必要悪であり遺風であって、どれだけ害毒を流してきたことか。社会形態の変質に遅れること久しく、必然的に個々が独立して暮らす形態がようやく拡がりはじめたに過ぎない。後はいかに個を確立するかだ。いかに自分なりの生き方、人生観を身につけるかだ。

「自ら笑う鄙夫野生多く、貧居数畝半ば湍に臨む」(銭起)
 野性味の強い性格なので、茅屋に寝起きし、急流に面した僅かな土地を耕して暮らすのもよかろう。

「心は天国を作り出すことも、地獄を作り出すことも出来る」(ジョン・ミルト)

「いまから一年もたてば、現在の悩みなど、およそくだらないものに思えることだろう」(サミュエル・ジョンソン)

「私は人生をあるがままに生きる。例え救貧院で暮らしていようと、楽しい胸踊る輝かしい人生を送れるはずだ。夕日は大邸宅の窓にも、救貧院の窓にも明るく照り返す」
(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)

「人間は自分で思っているほど幸せでもないし、不幸せでもない」(バルザック)
 幸も不幸も、万事、この世の中、自分の考え方一つ。
 

2011年01月14日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 196

 遅ればせながら、どちら様も新年明けましておめでとうございます。これが江戸時代の昔なら、やれやれ節季払いの時期まで当分、借金取りに責められずに付けで暮らせると太平楽を決め込めるところだろうが、今日日、そんな甘いことは通用しない。なにか気分が晴れるような種はないかと、物見高く物色したところで所詮無駄骨折。内閣改造が行なわれるそうで、せめてなにがしかの期待をかけたいが、店晒しの品を並べ替えるだけのことだろうから、望みをもてようはずがない。それにしても、えり抜きの大学のしかも小難しい理工学部を出た歴代の首相の無能ぶり、ノー天気振りには考えさせられる。なんの経綸もない、ただの秀才。要するに、政治家には向いていないのだ。はなはだ傍迷惑な方がいるものだ。直接であれ間接であれ選んだ方が悪いのだが、適性のなさを自覚して、せめて挙止進退は奇麗にしていただきたいものだ。

 われわれ名もなき民草は、それぞれに自分なりに分相応の幸せを築くしかない。
「自分で心に決めたていどに、たいていの人は幸せになれる」(リンカーン)。
 周囲の動静に惑わされず、自分流の人生計画を立てよう。個性ある生き方をしよう。
「いらぬ取り越し苦労をするより、事前に考え計画する方が大事だ」(ウインストン・チャーチル)
「歳を取れば額に皺が生ずるのは止もうえないが、心にまで皺を作ってはならない」(ジェームズ・ガーフィールド)
「隣人の語ること、行なうこと、考えていることを気にかけない者は、多くの利益を受けることだろう」(マルクス・アウレリウス)
 
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